都市と境地のあいだ

地方からのまちづくりのお話

海外での生活について

 もはや中国は途上国ではないですね。

 

貧富の差はあるのでしょうが、町中に自分が生涯買えないような高級車がこうも溢れている事実を見せつけられると、この10年の発展具合がわかります。

 

あとよくわからないのが、激しい言い合い。。

「面子」という軸で、中国人に接しないと、なんでこんなことで喧しく喧嘩するのかわからない。違うシステムに入り込んだんだから、システムに合わせないと生きていけません。日本では〜すべきとかいう規範重視で、現実的にどれくらいの量が買えるかという現実を重視する中国といったところかな。

 

あと文化の違い。例えばお土産文化。中国語で「礼物(li3wu3)」といいます。日本でもおみやげは渡します。田中信彦さんの著書によれば、相手に対して尊重してますというメッセージだそうです。こう書いていると、当たり前のようですが、どうやら日本とは違う意味を持つようです。

 

 ともあれ14億人もの人口がいる訳ですから、限られた利益の分配を巡って、やたら競争意識が高くて落ち着きません。ただ、厳しい競争を生き抜いてきたサービスや商品が流通し、または、選抜された人が行き交っているので便利で心地いい瞬間もあります。洗練されたサービスやら高い教育を受けた人が生き残りをかけています。中には競争の過程で、物量で満たされた人々がいて、高い規範意識を抱く集団がうまれている気がします。(つまり、中国でも規範意識で通じ合える人もいる訳です。)

 

 ところが、日本人(*本当は日本人とかいう単語を使いたくない人です)の中国人に対するイメージが10年程度ブラッシュアップされていない。過去のイメージを引きずって意思決定をしているケースって多いんじゃないかなという気がしています。

 

 まだ、あまり中国にいませんが、日本で様々な規範意識にがんじがらめにされた自分が、どこまで中国に適応できるのか、自分自身興味津々です。渡航前に師匠にいわれたのが、「〇〇地域の踏破は勿論のこと〜」と、先生らしい言葉からはじまり、「日本製品と中国市場でニーズのマッチング」についても触れられてました。また、ちきりんさんの著書にも、日本人はマーケット感覚が乏しいと指摘があったのを覚えていて、ずっと心に残っています。

 中国語の習得は当然としながらも、何ができるのか考える(言語化するもしくは、理論化する)のが大事かなと思います。